『大放言』(百田尚樹 著)(新潮社)の感想です。

 

『大放言』あらすじ

『大放言』とは、『永遠の0 (講談社文庫)』で有名な作家の百田尚樹氏が書かれた本です。

 

『大放言』は、百田尚樹氏曰く、炎上覚悟で言いたい放題言った本なのだそうです。

 

例えば、「やればできると思っているバカ」、「人間のクズ」発言、「きれいなオネエチャンを食べたい」発言など、炎上する可能性が高いことが『大放言』にたくさん書かれています。

 

『大放言』には、右よりなことも書かれています。

 

私はそちらについては無知だし興味が無いので、読み飛ばしました。

 

私が読書をする目的は、人生を生きやすくするヒントを探すことなので。

 

『大放言』は物議を醸すこともたくさん書かれていますが、使える内容も多かったです。

 

そのなかで、私が『大放言』を読んでとくに刺さった内容を3つほど紹介します。

 

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『大放言』で刺さった3つの内容

私が『大放言』を読んで、とくに刺さった内容は、以下の3つです。

<『大放言』で刺さった内容>

・やらないのは出来ないのと同じ

・他人の目は正しい

・労働の喜びとは人の役に立てること

 

それぞれについて、『大放言』の引用文を紹介し、合わせて私の感想を簡単に書いていきます。

やらないのは出来ないのと同じ

「・・・何もできないのに夢だけは大きな子。そういう子たちに共通するのは『自分はやればできる子』と思っていることや」

彼は続けた。

「そういう子たちの親もやっぱり同じことを思っていて、保護者面談なんかで話していると、全然勉強ができないのに、『先生、この子はね、やればできるんですの』と言う」

(中略)

彼の話を聞いていて、そう言えば私の周りにもそういう若者が増えているのに気付いた。

何の実績もキャリアもないのに、妙な自信だけはある若者たちだ。

そのくせ、何にも本気で取り組まないし、がむしゃらにもならない。

恥ずかしながら、実はかつての私もそうだった。

(中略)

世の中の親や教師に言いたい。

何もやったことのない子に「やればできる」と言うのはやめようではないか。

彼らに言うべきことは、

やらないのは、できないのと同じだ

という言葉だと思う。

もうこれ以上、日本にバカを増やしてほしくない。

 

『大放言』 P23〜28より

 

やらないのは出来ないのと同じである。

 

私も、やってもいないのに「出来るはずだ」と根拠の無い自信を持つことがあります。

 

根拠の無い自信は成功するのに必要ですが、やらないのはダメでしょう。

 

やって上手く行かなくてもOK。

いつか成功するはずだと根拠の無い自信を持ってやり続けるべきです。

 

私はブログで生計を立てるべく、毎日記事を書いています。

こにブログを立ち上げてもうすぐ1年になりますが、お小遣い程度の収益しかありません。

 

それでも、根拠の無い自信を持ってやり続けます。

やり続けることで、いつかブログで食っていけるようになれると信じて。

他人の目は正しい

他人の目は正しい

「他人は自分を正しく見ていない」という認識こそ、人が犯す最も大きな過ちの一つである。

実は、他人くらい自分を正しく見ている者はいない。

もちろん人間だから誤解や勘違い、好き嫌いによる思いこみというものはある。

しかし仮に周囲の人間一〇人の意見を総合して、その大半の意見が一致すれば、その人物評はまずその人の等身大をあらわしていると見て間違いない

もしあなたがある未知の人物を知りたいと思ったら、その周囲の人たちにその人物評を聞いて回ればいい。

出てきた感想を総合すれば、まずその人物像は狂いがないだろう。

 

『大放言』 P30〜31より

 

他人の目は正しい。

 

悔しいですが、当たっています。

 

私は、研究室や会社にいた人間どもらから、「協調性がない」「扱いづらい」と言われてきました。

 

研究室では、一緒にご飯を食べに行かない、雑談に参加しない人間でした。

 

金がもったいないし、進歩のない会話が嫌いだからです。

イヤなことはやりたくありません。

 

また、嫌がらせをしてくる先輩に逆らったことも何度もあります。

 

会社でも、上司に歯に衣着せぬ言い方をしてきました。

抵抗しないとパワハラを受けるからです。

 

入社3年目から、飲み会は全拒否でした。

金と時間のムダだからです。

会社の飲み会でやっていることは、他人の噂話・詮索・悪口、進歩の無い会話なので。

 

そして会社でも、陰で「協調性がない」「扱いづらい」と言われていました。

 

私は閉じた共同体に属すると、「協調性がない」「扱いづらい」と必ず言われます。

 

残念ながら、当たっています。

他人の目は正しいのです。

 

逆に、副業で商売をしていたときや、家庭教師のアルバイトで、このようなことは言われたことがありません。

 

私は会社勤めは向いていない人間なのでしょうね。

 

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労働の喜びとは人の役に立てること

父はおそらく仕事をする喜びを感じていたと思う。

壊れた水道管を直すことにより、その地域に住む人々の役に立つという喜びがあったと思う。

労働の喜びとはそういうものであるはずだ。

これは有名な話だが、囚人に与える最もきつい仕事は、穴を掘らして埋め戻させる仕事だという。

この作業を延々と続けさせると、どんなに精神的に強い囚人も心が折れ、やがて肉体的にも崩壊する。

逆にどれほど過酷な労働をさせても、それが何かしら役に立つ、あるいは何らかの達成感があるという仕事なら、囚人は耐えられるという。

私はこの話には、「労働」の深い意味が読み取れると思う。

世の中には役に立たない仕事はない。

どんな仕事であろうとも、それは社会や人のためになる。

労働の本当の喜びとはそこにあるのではないか。

 

『大放言』 56より

 

労働の喜びとは、人の役に立てることである。

 

私はブログと並行して家庭教師のアルバイトをやっています。

 

家庭教師のアルバイトは、ブログより真剣にやっています。

人の役に立てると実感でき、楽しいからです。

 

家庭教師のアルバイトをやっていると、生きている実感が湧きます。

 

会社勤めをしていたときは、自分が生きながら死んでいくように感じていました。

人の役に立てる実感が皆無だったからです。

 

給料がなくなった今、収入が不安定な状態です。

それでも、生きている実感が感じられ、それなりに楽しい毎日を過ごしています。

 

もう二度と、サラリーマンはやりたくないですね。

 

国民年金と国民年金基金の納付を死守して、このまま人生を楽しく逃げ切りたいです。

 

以上、『大放言』(百田尚樹 著)(新潮社)の感想でした。

 

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