『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(岡田尊司 著)(光文社新書)の感想です。

 

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』の要約・あらすじ

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』とは、精神科医で山形大学客員教授でもある岡田尊司先生が書かれた本です。

 

愛着とは、母から子、子から母に相互に伝わっていくものだそうです。

 

抱っこをし、体を接触させることは、子どもの安心の原点であり、愛着もそこから育っていきます。

 

抱っこをすることで、子どもから母親に対する愛着が生まれるだけでなく、母親から子どもに対する愛着も強化されていきます。

 

しかし、あまり抱っこをしなかった母親は、子どもに対する愛着が不安定になりやすく、子どもを見捨ててしまうという危険が高くなることが知られているそうです。

 

その結果、

人に気をつかいすぎたり、親しい関係が苦手だったり、依存しやすくなったり、意地っ張りで損をしたりするそうです。

母親の存在がいかに重要なのかが、『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読むとよく分かりますよ。

 

以上、『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』のあらすじ(要約)でした。

 

次に、私が『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読んで、とくに刺さった内容を3つほど紹介します。

 

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『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』で刺さった3つの内容

私が『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読んで、とくに刺さった内容は、以下の3つです。

<『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』で刺さった内容>

・愛着が足りないと「非機能的怒り」をする

・愛着が足りないと「部分対象関係」になる

・愛着が足りないと意固地な人間になる

 

それぞれについて、『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』の引用文を紹介し、合わせて私の感想を簡単に書いていきます。

愛着が足りないと「非機能的怒り」をする

安定型の愛着スタイルの人が怒りを表す場合、それは建設的な目的に向けられている。

相手を全否定するのではなく、問題解決のために焦点を絞ったものとして発せられる。

敵意や憎しみといった個人に向けられた攻撃ではなく、問題そのものに向けられた怒りである。

こうした怒りは、人間関係を壊すよりも、むしろ強化したり、問題解決を促すのに役立つ。

しかし、不安定型の愛着スタイルの人の怒りは、相手を精神的、肉体的に痛めつけることに向けられがちである。

それは、相手との関係自体に破壊的に作用してしまう。

破壊的な効果しかない怒りを「非機能的怒り」と呼ぶが、不安定型愛着、ことに不安型の人では、このタイプの怒りにとらわれやすいのである。

 

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』 P123〜124より

 

上の『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』の引用文の中で、

「不安定型の愛着スタイルの人の怒りは、相手を精神的、肉体的に痛めつけることに向けられがちである。」

とありますね。

 

学部時代の研究室にいた東大卒の指導教官や、北大大学院の研究室にいた博士課程の先輩などは、まさにこの典型でした。

 

少しでもプライドを傷つけられると、相手を殺すまで痛めつけないと気が済まない感じでした。

 

この博士課程の先輩は、北大大学院を卒業後、財閥系の化学企業に就職していきました。

 

企業の研究職や大学には、こういう人間がたくさんいるのでしょう。

研究が好きでしょうがない人は別として、そうでない人は研究職は避けたほうがよいと私は思います。

 

私は研究職を避けて、東証一部上場のIT企業に就職しました。

まあここもブラック企業でしたが、研究室で受けた仕打ちと比べれば可愛いものです。

 

研究職は並のブラック企業なんか目じゃないくらい消耗するところである、というのが私の見解です。

 

だから、研究職を希望する人には「止めとけ、殺されるぞ」と忠告したいですね。

愛着が足りないと「部分対象関係」になる

愛着障害の人は、全体的な関係や視点ではなく、部分に分裂した関係や視点に陥りやすい。

それは、快不快の瞬間の関係に生きているということもできる。

相手からどんなに恩恵を施されても、一度不快なことをされれば、それ以外のことは帳消しになって、相手のことを全否定してしまう。

こうした対象との関係を、メラニー・クラインは「部分対象関係」と呼んだ。

 

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』 P127〜128より

 

上の『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』の引用文に、

「相手からどんなに恩恵を施されても、一度不快なことをされれば、それ以外のことは帳消しになって、相手のことを全否定してしまう。」

とありますね。

 

こういう人間も、学部時代の研究室や北大大学院の研究室で嫌と言うほど見てきました。

 

研究室に限らず、理系学部の人間のほとんどがこのタイプの人間だったように感じます。

信州大学時代に出会った多くの理系学部の人間を見ての感想です。

 

人として尊敬することはとてもできず、軽蔑の対象としか私は見ていませんでした。

 

反面、経済学部や人文学部など文系学部の人間は、人として尊敬できる人が多かったです。

この差は一体なんでしょうか。

謎です。

 

理系職に就くと、こういう人間の中で働かねばなりません。

工場の多くが僻地にありますから、隔離された閉鎖空間の中で、理系の人間どもらと四六時中付き合わねばなりません。

 

地獄ですね。

 

それが嫌だったので、私は北大大学院を卒業後、IT企業に文系就職しました。

まあこの会社もブラック企業でしたが、理系職よりはマシであると思っています。

 

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愛着が足りないと意固地な人間になる

愛着障害の人の重要な特徴の一つは、過度に意地を張ってしまうことである。

それが、自分にとって不利益になるとわかっていても、どうしてもそれを止められないということが多い。

非機能的な怒りと同じような意味で、非機能的な執着と言えるだろう。

自分の流儀に固執したり、否定されればされるほど同じことをしようとしたりする。

安定した愛着スタイルの人は、相手とやり取りするなかで、相手の気持ちも考えて、譲歩したり、気持ちを切り替えたりするということを学んでいる。

そんな柔軟性は、安心できる愛着という柔らかな環境があって初めて発達する能力なのである。

 

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』 P133〜134より

 

上の『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』の引用文に、

「愛着障害の人の重要な特徴の一つは、過度に意地を張ってしまうことである。」

とありますね。

 

北大大学院に、こういう人間がたくさんいました。

 

一度でもダメだと思ったら、二度と関係を修復できない。

関係を修復しようと努力しても、向こうが過度に意地を張って突っぱねてしまう。

 

理系の人間どもらは、関係がこじれてしまうと、修復不可能だと思います。

 

理系職の多くは、隔離された閉鎖空間で仕事をすることになりますが、上司や先輩と関係がこじれてしまったら、もう地獄です。

 

私がいた北大大学院の研究室の先輩は、就職先の化学企業でやらかしてしまい、総スカンを食らってしまいました。

出社して挨拶しても、全員にシカトされているそうです。

 

まあこの先輩も、中国人留学生や研究が苦手な後輩を死ぬほどバカにして調子に乗っていたので自業自得でしょうが。

 

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』を読んで、これはまさに理系の人間どもらのことを指していると感じました。

 

以上、『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(岡田尊司 著)(光文社新書)の感想でした。

 

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