『新しい道徳』(北野武 著)(幻冬舎)の感想です。

 

『新しい道徳』の要約

『新しい道徳』とは、ビートたけしこと北野武氏が書かれた本です。

 

『新しい道徳』は、小中学校で行われている道徳教育を痛烈に批判した本です。

 

次の項で紹介する『新しい道徳』の引用文を読めばわかるとおり、かなり笑える内容になっています。

 

その道徳の教科書ですが、文部科学省のホームページにアップされてます。

文部科学省:道徳教育のページ

 

この教科書を読むと、北野武氏の毒舌がより楽しめるはずです。

 

次に、私が『新しい道徳』を読んで、とくに刺さった内容を3つほど紹介します。

 

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『新しい道徳』で刺さった3つの内容

私が『新しい道徳』を読んで、とくに刺さった内容は、以下の3つです。

<『新しい道徳』で刺さった内容>

・道徳の教材は嘘をつけと強制しているようなもの

・道徳教育で老人を軽視するようになる

・人生の目的を会社に求めるのは危険である

 

それぞれについて、『新しい道徳』の引用文を紹介し、合わせて私の感想を書いていきます。

道徳の教材は嘘をつけと強制しているようなもの

例えば、小学一・二年生の道徳の教材。

最初の話題からして変だ。

「自分を見つめて」なんて書いてある。

小学一年生が、自分を見つめるわけないだろう。

他人だって見つめてないのに。

(中略)

「いちばんうれしかったことを書きなさい」っていうのもあって、笑ってしまった。

小学一年生に、いちばんうれしかったこともないだろう。

そういうのは歳をとって、昔をふり返って、「ああ、あの頃がいちばんいい時代だったな」と思い出すものだ。

(中略)

だいたい、女の子のスカートめくりをしてるのがいちばん楽しいとか、学校の帰りに万引きした駄菓子がいちばん美味しかったとか、そう書いたとしても、それが自分らしさだから大事にしろとでもいうんだろうか。

大人になったら誰にも邪魔されずに一日中思う存分ゲームをするのが将来の夢だと書いても、先生は頭をなでてくれるんだろうか。

そんなわけないのは子どもでもわかるから、当たり障りのないことを書く。

お年寄りに席を譲ったら感謝されたのがいちばんうれしかった、とかなんとか。

嘘をつくなといいながら、嘘をつけと強制しているようなものだ。

 

『新しい道徳』 P15〜17より

 

道徳教育は、きれい事ばかり言っていますよね。

 

私も「清く正しく生きる」なんていう思考が頭の片隅にありますが、これは道徳教育のせいでしょう。

 

この思考だと、社畜になります。

会社に搾取され、貴重な人生の時間を奪われてしまいます。

 

道徳教育を始めとして学校は、社畜(家畜)養成所でしょう。

 

ホリエモンこと堀江貴文さんも、著書『すべての教育は「洗脳」である』で学校教育を痛烈に批判されています。

 

あなたがもし学校や会社に不信感を抱いているなら、この本を読むとスッキリしますよ。

道徳教育で老人を軽視するようになる

道徳の教科書には、やたらと老人とゴミが登場する。

年寄りに席を譲る。年寄りの荷物を持ってやる。年寄りの道案内をする。

道に落ちているゴミを拾う。ゴミを分別して出す。誰かが道にゴミを捨てたら注意する・・・。

何かっていうと、老人とゴミだ。

(中略)

老人とゴミは同じなのか?

これでは、老人は社会の邪魔者だと思う子どもが増えても仕方がない。

教科書の中の老人は、なんだか情けをかけられているようにしか見えない。

老人は小学生にも情けをかけられなくては生きられない存在、社会的弱者だといっているのと同じだ。

(中略)

だけど、そんな自分で思ってもいない建前ばかり語っていると、いつかきっととんでもないことになる。

年寄りと一口にいっても、いろんな年寄りがいるのはわかり切ったことだ。

教科書の前提じゃ、年寄りはみんな善人ということになっているけれど、日本の刑務所に、どれくらいの数の年寄りが入っているのかわかっているのだろうか。

「そう遠くない将来、刑務所は老人ホームになる」なんていう人もいるくらいなのに。

泥棒もいれば、人殺しもいる。幼女誘拐犯だっているはずだ。

重い荷物を持っているじいさんに声をかけて、家まで運んでやった子どもが、そのまま家の中に連れ込まれたとして、先生は子どもになんと教えるのだろうか。

 

『新しい道徳』 P23〜25より

 

「姥捨て山」という言葉に代表されるように、日本は老人を軽視する国です。

 

欧米では、日本は経済は一流だが福祉は後進国並であると言われてもいます。

 

老人軽視の思考の元は、学校の道徳教育みたいです。

我々は知らぬ間に、学校で老人をバカにする思考を植えつけられているみたいです。

 

そして、老人は肉体的に弱い生き物とは限りません。

要介護者も多数いるでしょうが、若い人よりも力が強く、性欲も旺盛な年寄りもたくさんいます。

 

そういった年寄りが犯罪を犯し、日本の刑務所は老人ホーム化しつつあるそうです。

 

私の町内会でも、老人が町内会を私物化し町内会費を着服している疑いがあります。

町内会と関わると、狡猾な老人が多いことに驚かされます。

 

老人は善人であると思うのは間違いであると、私は思います。

でも、老人を軽視するのも間違いです。

年齢関係なく、対等な人間として見るべきでしょう。

人生の目的を会社に求めるのは危険である

道徳の本には、人生の目的を見つけろなんて書いてあるけれど、そういうことを真に受けるとロクなことにならない。

会社に入ったからには、課長になって、部長になって・・・・と、ねじり鉢巻きで頑張って、定年を迎えたら、やりたいことがなくなったなんて人生を送りたいならそれもいい。

(中略)

だけど、ほとんどの企業は、世の中が変わったら手のひらを返したように、能力主義だのなんだのいって昔ながらの方針を撤回してしまった。

(中略)

下手な忠誠心なんて持たない方がいい。

よくリタイアしてから趣味を見つければいいなんていっている奴がいるけれど、そんなものが見つかるわけがない。

いちばんやらなきゃいけないときに、やってないんだから。

なんでもそうだが、習い始めてから本格的にそれを楽しめるようになるまでには、それなりに時間と労力がかかる。

年寄りにはそんな時間も体力も残されていない。

(中略)

老後に趣味があれば、たしかに楽しい人生を送れるだろう。

だけど、そのためには若いときから何かに夢中になって、引退する頃には名人くらいになってなきゃいけない。

 

『新しい道徳』 P139〜140より

 

道徳教育は、社畜を育てることを目的としているように思えます。

良い会社に入り、立身出世するのが立派な人間であるという思想を植えつけられます。

 

道徳教育は、年功序列制度と終身雇用制度が保証されていた昭和の時代の古い考えに基づいています。

 

しかし、良い会社に入っても幸せになれる保証はありません。

 

私は北大大学院を卒業後、東証一部上場のIT企業に就職しました。

この会社も、世間では良い会社と認識されていました。

 

が、内部は見事なブラック企業でした。

 

年次昇給300円、30歳で年収300万円、一生ヒラで終わる社員が9割、パワハラまみれ、サービス残業だらけなど。

 

この会社に尽くしたら、人生が崩壊します。

それに危機感を抱いた同期が、どんどん辞めていきました。

200人いた同期が、たった7年で80人にまで減りました。

私も仕事を1年近く与えられず放置されるパワハラを受けて辞めました。

 

こんな感じで、良い会社に就職しても幸せになれるとは限りません。

道徳教育は間違えています。

 

だから、上の『新しい道徳』の引用文に書かれているとおり、会社なんかに忠誠心を持ってはいけません。

今から生涯続けられる趣味を見つけ、仕事そっちのけでそれに没頭しましょう。

 

どうせ会社なんて60歳でおさらば、会社の仕事のほとんどが定年後にクソの役にもたたないゴミです。

 

定年後に重要になるのは、若いときから打ち込んできた趣味だと思いますよ。

 

以上、『新しい道徳』(北野武 著)(幻冬舎)の感想でした。

 

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